ありえないコードで弾いています

日々の暮らしのエッセイだったりそうでなかったり

傷ついてもいいよ

私は養育里親をしていて、養育里親というのは戸籍上は他人である子供を預かってある一定年齢まで育てるタイプの里親で、基本的に養子縁組はしない。
が、養子縁組して育てるタイプの里親(「養子縁組里親」)さんもいる。
我らの業界(?)では、この二種類の里親を「養育さん」「縁組さん」と呼んで区別している。

養育であれ縁組であれ、里親をやる人種というのは私も含め、ちょっと変わり者が多いのではないかと思っている。
子供がいる友人の反応は
「自分の子供でさえ育てるのが大変なのに、まして他人の子なんて」
というのがほとんどで、私もその反応が当然だろうなと思う。これを私に言う時、誰もが申し訳なさそうな顔をするが、全然そんな必要はなくて、むしろ子供が好きというだけで里親やろうと思えてしまう人のほうが、私には理解が難しい。
「子供が好き、かわいい」
というシンプルな気持ちだけではやれないのが里親というものだと思う。

子供が好きという純粋な気持ちのほかに、自分自身の欲もあるのではないか。不妊治療で傷ついた心を癒したいとか、世間から子供がいる幸せな家族に見られたいとか。

この自分自身の欲という部分は、それを自分でちゃんと認めているならば、決して非難されるものではないと思う。人間は弱い生き物だし、子育てという難行に挑むには、様々な動機の合わせ技でいくというのは極めて合理的だと思う。

私もやっぱりあると思う。
子連れだと優良市民みたいに扱ってもらえるし、子育てで人並みの苦労をしているみたいにもアピールできるし。まあ、くだらない見栄だけど、そういうのもある。

里親というのは長期的なコミットになることも多くて、そういう、自分の人生にかなり大きなインパクトのある何かをする時には、利己的な理由も利他的な理由も両方あるのが普通だと思う。

でも、そういうことを進んで語る里親は皆無に近い。

みんな、子供のため、と口を揃えて言う。もちろんそれは否定しない。ただ、それだけじゃないだろ、とひねくれ者の私はいつも心で思っている。

里親というのは難しい。ある調査によると、不調で里親への措置が解除になった例は全体の2割だそうだ。
五組に一組はうまく行っていない。
理由は色々あると思う。一番大きいのは実親の存在だと思う。

ほとんどの子供はどんなに劣悪な親であったとしても、生みの親のことを否定できない。
口を開けば恨みの言葉しか出てこないのに、心の奥底では大切に抱きしめざるを得ない存在。
それが血の繋がりというものなのだろうと思う。

一部の里親はそれが理解できない。

ひどい親だったから思い出させたくないとか、子供と交流させたくない(養育里親の場合、実親との面会が発生することがある)とか、言う。

でも私は、その気持ちの半分は、「実親のことは忘れて私だけを見て欲しい」というエゴなんじゃないかと思ったりする。こんな見方もイジワルだけれど。

今、母親の役割を果たしているのは、私なんだから。
今、自分の時間と気持ちの全てを捧げて、お世話しているのは、私なんだから。

という気持ちが、どこかにあるような気がする。(私にもある)

問題は、そういう気持ちを自分が持っていることを、認められるかどうかだと思う。
認めていれば、そういう気持ちが湧き上がって来た時に、理性で抑え込める。
認めていないと、子供が楽しそうに実親の話をすることを受け入れられず、極端な場合暴力に発展してしまったりもする。

うちの子もそうだけど、子供って離れた実親を変に美化したりもするからね。
里子との関係づくりは大変で、試し行動とか赤ちゃん返りとか、色々あってほんとに疲弊するので、そういうことを経て親子としての距離がぐっと近づいたと思う頃に実親のことを嬉々として語られたりすると、もうホラーみたいなものだ。里親としてはつい感情的になりそうになる。

しかし里親とは、究極的には、傷つくことを避けられないと思う。養育であれ、縁組であれ、その子に生みの親が別に存在することに変わり無い。縁組だからといって実親を否定すると、いい結果にならない気がする。

子供に対する無償の愛、無条件の愛というのは、以前も書いたけど、私にはとても難しい。何が愛情かというのは、価値観によってずいぶん変わってくる気がしている。だから、自分は子供をちゃんと愛せているか、ということについては、私はいつも自信がない。

ただ、私は子供に、私は傷ついてもいいよということは伝えたい。
どっちかが傷つかなきゃいけない時は、私が傷ついていい。
なのであなたのお母さんのことを、あなたと一緒に抱きしめてもいい。
あなたがお母さんのことを嬉しそうに話す時、一緒に楽しそうに聞いてもいい。
あなたが、自分はここにいてもいいんだ、何を話してもいいんだと思えることが、私がやり遂げたいことなので。

そういう大人がそばにいることが、きっと子供の安心感に繋がるのだということを信じている。