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この本の著者の方を存じ上げています。今日、著者の方に読んだ感想を直接申し上げる機会があり、お伝えして来たのですが、帰り道、「言いたいことはもうちょっと違ってたな」という一人反省会が始まり、どうしても自分がこの本を読んで感じたことをもっとちゃんと書きたくなりました。
最初にどうでも良いことから書いておきたいのですが、上にリンクを貼り付けた出版社の紹介文にも、主人公の都のマンションで修繕か建て替えかの意見が割れているように書かれていて、私もすっかりその気で読んでいたのですが、著者の方に「建て替えか修繕かで意見の割れているのは綾子のマンションですよ」と言われてびっくり。読み返したら確かに都ではなく、綾子のマンションだった。出版社なのにそんなミスリードな説明ダメだと思う。恥かいちゃった(自分がちゃんと読んでいないだけ)
この本が出版されるときに著者の方から連絡をわざわざ頂いて、もちろん買います!とお伝えして購入したのですが、いざページを開いてみるとなかなか読むのに苦労しました。
まずこの本の登場人物(全部で250人以上だそうですが)が主人公の都ふくめ概ね上流階級と言って差し支えない人たちで、私と境遇が全然違うこと。本の中では上流階級という言い方を避け、「裕福な庶民」といった書き方になっているのですが、天地に恥じることのない筋金入りの庶民の私から見れば、三越の外商が来たらもう上流階級でしょうと思ってしまいます。
住んでいる場所も違う。地方の僻地出身の私には、出てくる千代田区の地名や通りの名前がまったく身近に感じられない。
世代も違う。都さんと私では40年くらいの差があります。だから都が見て来た風景は私が見て来たものとまったく違う。
上下巻あるのですが、上巻を読んでいるときはしょっちゅう止まっていました。時代も階級も土地もまったく違う私が、この本から何を読み取るべきなんだろう?というのをつくづく考えてしまって。
境遇や世代なんて表面的なもので、根底に流れる普遍的なテーマというものがあるだろうと考えてもみました。
確かに、男女不平等や争いのなくならない世の中に対する怒りが綴られている部分はありました。
男女不平等について言えば、私自身はあまり気にせず生きてきたのです。女性で損をしたことも確かにありますが、女性で得をしたこともある。私がそこから学んだことは、人生はすべて相殺だということでした。だから、都の気持ちにあまり共感できない。
それから、都は体制に批判的で、たびたび日本の政権に対しても苦言を述べているのですが、平民の私が大学を出て社会人となり日々働きながら感じたことは、今ある体制をただ維持するだけでもとんでもなく努力が必要なんだなということでした。だから私は若い頃から、体制側の人たちに対してはただ頑張って、としか思ってこなかった。
だから、都と私は価値観がまったく違うと思います。ただ、価値観が違う人の話だから読めないというわけじゃない。
これで都が自分の主張に固執するタイプだったら、あぁそういう主張の人なんだな、自分とは違うけどこういう考え方もあるよね、というスタンスで読んでいくことはできた。
でも、そうでもない。そうでもないというところが、この本の難しさです。
この本は男女不平等について声高に批判しようとしている本ではありません。それがしたいなら、もっと効果的な書き方がいくらでもあると思います。でも、この本ではすべての主張が抑えたトーンで書いてある。辛辣な表現もありますが、すぐに話題が変わっており、都自身がそこにあまり執着していないように見える。
自分の主張をあくまで貫き通すということには興味がなさそうに見えるのです。
それが一番読みながら迷った部分でした。都と自分の距離感をうまく測ることができない。だから、自分が何を思えばいいのかが分からないのです。
ただ、同時に、この本は絶対に読まなければならないとも思っていました。
上下で1000ページほどもあるこの本を書き上げるには、きっとものすごい体力、集中力、精神力が必要だったはずです。私も文章を書くことは好きだけれど、そんな大作はとても書けない。貴重な人生の時間を傾けて書き上げられたこの本を、著者の方に直接託して頂いたからには、絶対に最後まで読まなければならないと思っていました。
結局、最後まで読むのに1ヶ月くらいかかりました。
その間に不思議なことが起こりました。
途中まで悩みながら読み進めていたのですが、下巻の後半くらいから急に読みやすくなった。文体や雰囲気が変わったわけではないので、ついに都さんにある程度シンクロすることに成功した、という感じでした。
その状態で読んでいったのですが、最後近くになって、都が通訳仲間の友人との語らいの後にこれまでのことを振り返り、過去に想いを馳せるシーンが出て来ます。亡き父と幼い頃林の中を散歩した思い出が甦るのですが、読み手としても現実と非現実、過去と現在が混ざり合うような不思議な感覚に囚われていきます。
そこで都がふと、父に手を引かれた自分のままで消えていけたらよかったと呟く。
その瞬間、読み手にも幼子のあどけない手とそれを引いていた父親の背中が見えるような気がしてくるのです。朝の光がさす林を、朝日に向かって親子は歩いていて、その光にふたりの輪郭がぼやける。父の手があればただただ幸せでいられた時代。
都はこれらを、例によって淡々と述べており、別にこのシーンが他のシーンと特に違って情緒纏綿に描かれているというわけではありません。でも、私はシンクロしていたのでそれが非常に心に迫って、気づいたら泣いていました。
戦争とその直後の貧しい時代を経験し、学生時代は勉学に興味を覚えたけれど卒業したら即結婚、日本中が好景気に沸いた時代に家庭の主婦として限定された暮らしを余儀なくされたけれども、離脱もしないでちゃんと対応できた。子育てが終わってからは仕事を持ち、夫の名前ではなく自分の名前で生きることもできた。夫は理解のある男性で、一緒にいても邪魔にならない存在だった。子供達も自立し、ひ孫までいる。そして裕福。申し分のない人生のようにも見えます。
だけど誰の人生にもやはり思うに任せない部分がある。それは時に男女不平等であり、時に戦争をしたがる人間の性だった。都ひとりの力ではどうにもできないことですが、どうにもできないからと言って振り払うことはできず、結局、ずっと人生について回った。そういうものを飲み込みながら、一日、一日を丁寧に生きていった都という人の押し殺した無念さが、父と歩いた朝の林の風景の中に閉じ込められているような気がしました。その直後に中東の男性との砂に関する会話が挟まれるのですが、砂は悠久の時の流れ、そして思うに任せないものの象徴のようにも感じました。彼はどこで死ぬのだろう、それはひいては自分はどこで死ぬのだろう、という問いにも聞こえました。
都は別に自分の人生を後悔はしていないと思います。それでも人の人生の重みを感じずにいられない。そういう本でした。
このシーンが出てくるのが最後から二番目の章で、これが実質的な最後の章。この話は起承転結というほどのストーリーがありません。日々、都が会う人々のことを綴っている。だから最後の章も、明日また目覚める人がおやすみを言うような気軽さで終わります。
その後、ほんとの最後の章が来ます。これはちょっと毛色が変わって、夫が亡くなった後、若い頃夫と訪れたヨーロッパの国々を娘とともに回るというもの。ちょっとした観光ガイドを読んでいるような気にもなり、本編についてくるおまけのような立ち位置と感じましたが、この章がまたよかった。これは蛇足とかでなくて、絶対にあったほうがよかった章だと思いました。
本編では病気療養中だった夫は、この章の前に亡くなったことになっています。若い頃訪れた場所を再訪していくのですが、昔と同じ場所に立つとかつての夫の言葉がふとよぎる。此岸と彼岸で夫婦の会話が成立している。ロマンチックだと思いました。
本編で夫が出てくる回数は多くありません。出て来ても話の本筋にはほとんど関らず、でも都を否定するようなことは一切言わず、それがまた無理している感じではなく、自然体でそうなっているという、これぞ理想の配偶者と言いたくなるような人でした。空気のような存在という言い方がありますが、空気とはまた違う。お互いに深い信頼があったのだと思います。
この章で夫のことを急にたくさん思い出している印象なのですが、ヨーロッパという千代田区から場所を変えたところで、そして夫が亡くなった後で、そうなるというのはありそうな気がします。そして思い出しても都が悲しそうな顔をしていないということは夫婦の生活が満たされたものだったということだろうし、夫も都も幸せだったのだろうと思えて嬉しかったです。
心配してついてきた娘に都は一貫して冷淡で、帰国後も「今度はひとりで行こう」と思うところで話が終わります。これは、私も旅行は一人で行きたい派なのでよくわかります。目に入るものや人との交流で感じたことを、自分一人でじっくり噛み締めたいのに、誰かがそばにいると思考のじゃまになるのです。じゃまだと思うのも相手に申し訳ないので、だからついて来てほしくないのです。ただ、娘は都のそういう思考回路をあまり理解していないのか、冷たくされて普通にショックを受けているようなのはちょっとかわいそうでした。