ありえないコードで弾いています

日々の暮らしのエッセイだったりそうでなかったり

黄砂の飛ぶ日

ゴールデンウィークに帰省した。
朝起きたら外は黄砂が飛んでいて、晴れているのに絶望的な視界不良だった。
都会でも黄砂は降っただろうか。
なぜか、黄砂をみるのはいつも田舎でのような気がする。

中学の時のクラス会に出た。
卒業以来、20年以上会っていなかったクラスメイト達に会った。

これまでお誘いが来ても、全く行く気にならなかった。
中学時代の自分が自分で好きではない。
中学に限らず、学生時代の自分は、おおむね、好きではない。
自信過剰と自己嫌悪のジェットコースターに乗ってきりもみ回転させられ、降りたと思ったらまたすぐに乗せられ、毎日へとへとだった気がする。

そんな私が皆からどう見えていたか分からない。たぶんろくでもなかったと思う。
当時の私は自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。

それでも、今回はお世話になった先生の退職祝いということもあったし、数少ない友達のひとりが来る事も分かったので、思い切って参加することにした。
ドキドキしながら待ち合わせ場所に出かけて行くと、意外なことに皆、久しぶりだねと明るく声をかけてくれた。
当時、そんなに仲良くなかった女の子も親しく話しかけてくれて、一瞬、舞い上がってしまった。
すごく楽しい会になりそうな気がした。

でも、少し時間が経つと分かった。
やっぱり、共通の話題があまりない。話題だけではなく、空気のようなものが違っている。彼女達だけだとくつろいで、居心地よさそうにしている。引退する先生とも何度も会っているのか共通の話題で盛り上がっており、「恩師と卒業生」のいいコミュニティができていた。

私のことは、
「〇〇ちゃんは私たちと違ってよく出来たから」
と、笑顔で遠巻きにしている。

きっと、それは気遣いなのだろう。
女性同士が良くやる褒め合いの一環だ。それ以上の含意はない。
そう思ってみようとしても、どうしようもない苦さが口に広がる。

やはり、居場所はなかったのだろう。昔も、今も。
私の存在が異質なのだ。彼女らがどこか緊張し、決まり悪そうにしてるのはたぶん私のせいだ。
彼女らにそんな変な気を遣わせるくらいなら、私はそこに居たくなかった。それはもう「ものすごく」、居たくなかった。

だけどそんな時に、驚くほどあっさりと私を同列に扱い、そのことによって仲間の一人にしてくれる男の子がいた。
小・中学校と一緒だったけれど、個人的に親しくなることはなかった人だった。
だから私の何を知っていたわけでもないと思うのだが、ただ、人柄なのだろう。
そういう、本当は難しいことを、奇跡的にやすやすとやってのける人がいる。

中学時代は典型的な野球少年だったが今は頭髪も薄くなり、お腹も出ていたけど、小学生の頃と変わらず呑気な口調で喋り、明るく、公平で、たまに自分を下げて誰かを引き立たせてみたり、そういうことを自然にやっていた。

「来てくれてありがとう」と彼はごく当たり前の調子で言った。
気持ちの水増しも二重底もなく。
その一言で、来てよかったと思えた。
それでも、来年も来たいかと問われれば、そうは思えなかったけれど。

私以外にもう一人、非調和をもたらした子がいた。
クラス会の途中である女の子が、当時イジメられていたと言い出した。
その場にいた女子たちは忘れたふりをしていたけど、それはありえないだろう。

彼女がいじめられていたことを知らなかった子はいないと思う。
最初、私は彼女をかばった。
そしたら私もいじめられた。
私はあっさり、次から彼女をかばうのをやめた。悲しいかな私はその程度の人間である。

私は覚えているよ、と言った。私に言えるのはそれだけだった。
彼女はうん、と言ったまま黙ってしまった。

過去の話にして笑い飛ばしてしまうのか、あの時の恨みつらみを今ここで吐き出したいのか、彼女自身決められないようだった。
話はそれ以上続かなかった。

消化しきれない種をケータリングのオードブルとビールで飲み下して、クラス会はお開きになった。


黄砂は昼になっても、辺りをぼかし続けていた。
私の耳をゆるやかに塞ぐように、そして私の目をやわらかに閉じるように。
太陽は高い場所にあるのに、黄昏のようにすべてが曖昧だった。

クラス会に何の屈託もなく出られる人は、実はとても幸せな人だと思う。