若いということはそれだけで圧倒的勝利だと思う時もあるし、暗くて不自由だから特に戻りたくないと思う時もある。
20代は暗かった。若さの特権をあまり使う暇もなく終わってしまったような気がする。(覚えていないだけでそれなりに美味しい思いをしたこともあったのだろうが)
就職活動では書類選考で落ちまくり、たまさか面接に漕ぎ着けても何のリサーチもしてないから的外れな回答ばかりしていた。ステレオタイプな人間にはなりたくないと青臭いことを考えてリクルート雑誌も読まずにいたが、今から思えばただの怠慢だった。
どうにかこうにか小さな事務所に拾ってもらって社会人生活がスタートしたが、仕事が板につくまでも更に数年かかった。上司に毎日怒られるが、何で怒られるかがまったく予想できない。今日はどういうことで怒られるんだろうと恐怖で怯えながら出勤していた。
毎日毎日、地雷の埋められた地面を丸腰で歩いているような心境だったが、5年6年と経つうちに地雷が見えるようになった。見えるようになると、避け方も分かってくる。それが進化すると地雷職人くらいにもなれる。
そしてある日、私ははっきり悟った。
この世界には、私一人が生きていけるくらいの隙間は常にある、と。
仕事に関して言えば、大企業じゃなくても、中途採用でも、何なら日本じゃなくても、自分一人が入れる空席はどこかにある。要は探し方の問題だ。
そう思えるようになって楽になった。
そして幾星霜。私はもう、社会を支える中心の世代を過ぎたが、自分の子供を見ていても今の人は傷つきやすいと感じる。心が折れる速さがこちらの予想を遥かに超える。◯◯ハラとかコンプラとか、ああいう話は私にはほとんどついていけない。
でもそういう人に向かって私たちの時代はもっとひどいことを言われてた、とか、されてた、なんて言おうとは思わない。私が若かった時も、上の世代は私たちのことをひ弱だと言っていた。私は自分を相対的な存在だとしか思っていない。私から見れば弱くてしょうがないような世代でも、その世代にはその世代なりの答えがあるのだろうと思う。
優しい言葉の中でしか生きていけないと言うのなら、優しい言葉で話をする。それがその人のためになるかならないかは誰にも分からないし、万一ならないとしても私の人生に大きな影響はない。
用事が終わったら帰る。自分だけの隙間に。動物が寝ぐらの穴ぼこに帰るように。
好きな本を読む。一人で電車に乗って出かける。きれいな風景を見る。何か呟きたくなったらSNSがあり、私の言うことにゆるく反応してくれる誰かもきっといる。インターネットはこの世界を住みやすくも住みにくくもした。どっちを見たいかは自分で決めればいいと思う。